トップ   >  荒川の人  >  No.184

No.184  片山孝調(かたやまたかつぐ)

クラシック音楽の面白さを伝える  文化・芸術の振興に尽力

「ピアノを前にすると、子どものころを思い出します」と語る片山さん。

ショパンの「ポロネーズ6番・英雄」は勇ましくて好きな曲の一つという

「クラシック音楽を身近に」と、荒川区民交響楽団をはじめ、全国規模の東京国際芸術協会など次々と楽団や団体を設立。地域の文化振興に尽力してきた片山孝調さん。弱冠三十七歳にして、音楽の面白さや楽しさを教え続けてきた。
「クラシックを身近に見て、参加して楽しめる音楽にしたい。それにはプロやアマチュア演奏家が活動できる場所やチャンスを提供し、多くの人がいい音楽に触れる機会を増やす必要があります」と語る片山さん。

音楽との出会いはピアノ



指揮をする片山さん。荒川区民交響楽団の結成のころ

その音楽との出会いはピアノにあった。幼稚園児のころに聴いたベートーベンの「エリーゼのために」。印象的な旋律は、幼い心を引きつけた。以来、ピアノの前に毎日すわって弾いた。親も驚くほどの上達ぶりで、小学生になってからは個人レッスンの先生を付けてくれた。
小学校二年生の時に学校で聴いた生のオーケストラの演奏にも大きな感動を受けた。 中学では、合唱団の伴奏を受け持った。音楽学校入学を考えてからは、毎日五時間ほどピアノを弾くようになった。高校では吹奏楽団に入った。この間、ピアノの練習との両立は大変だったが、決して練習時間を減らすことはなかった。
希望通りに音大に合格。入学後、自分よりもレベルの高い学生も多く、驚きの連続だった。みんなさまざまな音楽を知っていた。一気に音楽の世界が広がった。と同時に「もっと努力しないといけない」という思いが強くなった。
大学卒業後は、荒川区の教育委員会で社会教育指導員として仕事をすることになった。ここでは、音楽に限らずさまざまな講座を企画した。もちろん音楽の講座も開いた。「音楽の楽しさ、楽しみ方を知ってもらうことができた」と、当時を振り返る。

若手音楽家の育成に力注ぐ

数年後、多くの音大生が参加した東京ベイフィルハーモニー交響楽団を結成。オペラ「カルメン」を公演し、大盛況を博した。この公演の盛り上がりが、荒川区民交響楽団の結成につながった。より多くの人にクラシック音楽を楽しんでもらいたいという思いは、中学生、高校生から三十代、四十代の人たちと幅広い参加につながり、音楽監督兼首席指揮者として楽団をまとめきった。
また、音大卒業のプロたちをメンバーにした東京国際芸術協会も設立。全国各地で演奏会やコンクール、公開レッスンなどを開催し、クラシック音楽を通した芸術文化の普及、演奏技術の向上に努めている。会員になるには、厳しいオーデションをクリアしなければならない。現在、会員約千六百人を擁する全国規模の団体となっている。
一方、個人の演奏技術の向上にと始めた音楽教室も幅広い活動をするようになったことから「東京音楽学院」と名を改めて運営。学院に在籍する生徒は千七百人を超えた。ここで学んで音大に合格した生徒も多い。中には卒業後、「後輩たちの指導をしたいと戻ってきてくれる教え子もいます。」と目を細める。
「弱冠三十七歳です。まだまだこれからです」といいながら、「今までの活動は、当然一人ではできません。荒川区のみなさんの協力があったおかげです」と、にこやかな表情で語った。