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No.181  増谷秀竹(ますたにしゅうちく)

バリアフリー美術館を夢見て、描き、教える日々


荒川区立障害者福祉会館「アクロスあらかわ」の茶室で、自らが描いた山水画の掛け軸、良寛の書の前で。

書画家の秀竹さんは現在、「なでしこの会」でリュウマチの人や地域の方々に墨絵や書道を指導するかたわら、日本の文化を研究するサークル「和の会」、奥の細道をたどる「松尾芭蕉を歩く会」などで日々忙しく活動している。荒川区では福祉ボランティアを始めて15年ほどになる。

書画を学び、描き続けて、50年


墨絵、書画の作品。掛け軸や折本に、着物に直接絵を描くこともある。三ノ輪ボランティアセンターにも秀竹さんの絵が飾られている。

秀竹さんは浅草生まれ、浅草育ち。絵画に造詣の深い父親の影響で、5歳の頃から習字と絵を習い始めた。
「幼稚園が観音様の境内にあって、小さい頃から、浅草寺の所蔵する名画を見て育ちました。成人してから幼稚園の先生になりましたが、結婚後もずっと水彩、俳画、中国山水画などを学び、描き続けてきました。」と秀竹さん。一方、書道家・井村香千先生に付いて本格的に書道を学び始めたのは小学校4年生の時だった。
「井村先生は小児まひのために障害が残り、一人では歩くこともできない、お身体の不自由な方でした。今思えば、車椅子もない時代に、そんな先生の日常生活を町中の人々が支えていたのですね。子ども達もお習字を習うかたわら、先生のお世話をしたりお手伝いをしたり。それが当たり前だったのです。今私は、障害のある方々に書画を教えることで、自分の能力を地域ボランティアに活かす活動を皆さんと一緒に推進していますけれど、こうした考え方の基本は、井村先生と出会い、さまざまなことを教えていただく中で自然に身に付いたものだと思っています。」と秀竹さん。
秀竹さんは、今から15年ほど前にお母様が暮らす東尾久の住まいにアトリエを開いた。そこを拠点に、荒川区でのボランティア活動が始まる。「なでしこの会」はもちろん、福祉作業所や、病院、老人福祉施設を訪問して、墨絵を教える。また「和の会」では着物、お茶、日本の文化を体験してもらう活動を広めている。

地域の歴史を掘り起こし、人にやさしい街・荒川を全国に広めたい

「私は日本の歴史や地域の文化を勉強したり、研究することが大好き。人にはよく、あなたは江戸時代の人だからと言われます(笑い)。荒川区は、江戸時代宿場町としてにぎわった千住をはじめ、名所旧跡がたくさんある歴史・文化財の宝庫なんですよ。そのことを皆さんにも知ってもらいたくて」と言う秀竹さんは、街を歩いては歴史を掘り起こし、それを墨絵に表現する。3年前には、パソコンスクールの人たちといっしょに区内の文化財を訪ね、撮影した写真を基になでしこの会で荒川百景を描き起こしている。
「歴史の本は難しいので読むのが大変という方でも、見て楽しい絵本なら興味をもってもらえるから」と秀竹さん。自らボランティア活動をするだけでなく、サークル同士をつなげて、活かし合い、ネットワークを作る、ボランティアパートナーとしても活躍する。
「荒川区は全国でも有数のお年寄りや障害のある方にやさしい街だと思います。下町って、みんなが支えあって生きるという人情に厚い気質があるんですね。私の夢は、いろいろな分野の人たちと一緒に、この荒川にバリアフリーの美術館を造ること。障害のある方が、一生懸命描いた作品はどれも感動的です。むしろ、健常者の人がその絵を見て励まされるということもしばしば。障害のある方も健常者も協力して、芸術活動をしたり、発表する美術館があればいいですね。」