トップ   >  荒川の人  >  No.172

No.172  桃川 忠(ももかわちゅう)

軽快な話術を交えながら、客のリクエストに応えはさみ一丁で形を切り出す。その見事な紙さばきと巧みな技に観客からは感嘆の声があがる。とりわけ、同時に2枚3枚の作品が出来あがる重ね切りができるのは、自ら「江戸紙切り」を考案した桃川忠さんただ一人である。

幼い時から独自の紙切り術を考案

「江戸紙切りに師匠はいません。数えで3歳の時、母親が裁縫で使っていた和ばさみで絵本のライオンを切り抜いたのが私の芸の始まり」と言う桃川さんは昭和7年生まれ。父親は鉄道員で、きれいに切り抜いたライオンを見せたら「ぶっ飛ばされました。こんな高い絵本を切り抜いちまって、どうするんだってね。それからは新聞紙を使って、目についたものを切り抜いてましたね。誰に教えられたわけでもないのに、自然に手が動く。小学校を卒業するころには、動物だろうと乗りものだろうと、ありとあらゆるものが切れるようになってましたから」。戦争中は新聞紙を畳10枚程の大きさに張り合わせ、戦艦大和を切り抜いたこともあるという。ただし、親に見つかると怒られるので、隠れてやっていたのだそうだ。
そんな桃川さんは、18歳の時浪曲師になりたいと思い立つが、周囲の反対にあって断念。その後、紙切り芸人となるまでの間はさまざまな紆余曲折があった。「勤め人はもちろん、トラックの運転手やらなんやら、いろんな職業を経験しました。ただ、人と同じことをするのは嫌でね。結婚してからは荒川区町屋で鉄工所を始めたのです。そこでも、人にはまねできないものを造ろうといろいろ考案して、ディスプレーケースなどを造っていました」と言う桃川さんが、紙切りの才能を生かしてプロデビューしたのは、昭和56年、49歳の時だった。
「偶然、小学校の時の先輩で芸能関係の仕事をしている人が紙切りを見て、プロになれってすすめてくれて。最初のステージはやっぱり緊張しましたけれど、続けているうちにこれこそ天職だと(笑)。お客さんが喜んで、感動してくれるっていうのはうれしいもんだし、やりがいもある。今まさに青春時代って気がしますよ」

レパートリーは無限

紙切りの中でも特に難しいといわれる動物や昆虫が最も得意。縁起物、似顔絵はもちろん、子ども向けにはアニメの主人公も即興で切り抜く。劇場、パーティー、お祭り、イベント会場などあらゆるところで活躍する桃川さんは、日本独特の紙切り芸を披露するため、欧米諸国、東南アジアや中南米など外国からの招待も多い。
「言葉が通じなくても、訪れた国の人物や建物を即興で切り抜く。例えば中国の親善団体だと、日本列島や友好の掛け橋、平和の象徴の鳩を切ってくれとたのまれたり。普段やっていて困るのは水、空気、虫の声を切ってくれとか言われた時。まぁ、リクエストがあれば、なんでも切りますけど…」
さてさて、形のないものをどう切り抜くかは、実際のステージをご覧いただくしかないのだが「レパートリーは無限」と言う桃川さんの紙技は、まさに神業。見てのお楽しみということだろう。