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No.160  三遊亭 王楽(さんゆうてい おうらく)

父・好楽と兄弟弟子!に
サニーホールで親子初競演も

荒川人名録の噺家に新顔の登場です。王楽さんの名を見てピンとくる人は、よほどの落語通でしょう。噺家といっても、昨年5月に三遊亭円楽師匠の二十七番目の弟子として入門したばかり。もちろん一門では最末席の二十四歳の前座です。ところがここ一年の落語界、王楽さんに大変な話題が集まったそうです。

実は王楽さん、円楽一門の二番弟子である好楽師匠の長男です。古くは古今亭志ん生と馬生・志ん朝、新しいところでは林家三平とこぶ平・いっ平など、親子で噺家となる例はそれほど珍しくはありません。しかし、親子で同じ師匠を選ぶ――つまり親と子が兄弟弟子になったケースは前代未聞のことです。

「止めたんですがどうしても落語をやりたいという。親が師匠だなんてろくなもんじゃない、弟子には採らないよって言ったら、円楽のところに行くと」(好楽師匠)。一門の大看板として二人の弟子を持つ好楽師匠、これには「エッ」とのけぞりました。が、「兄弟弟子になろうなんていい度胸だ。それにしても円楽を選ぶとは目が高い。よしっ分かったッ。偉い」。妻のとみ子さんと王楽さんの三人で円楽師匠に入門を願い出ました。

入門が許された直後、更に落語界を驚かせる事件が起きました。円楽師匠はこの新弟子にいきなり十席もの噺を教えたのです。師匠に噺一つ教えてもらうことさえ大変なこと。これもまた前代未聞です。

親の七光りが通用するほど、甘い世界ではありません。元気に高座やテレビの人気番組「笑点」に出演している円楽師匠ですが、来年は七十歳。そろそろ体力の衰えも感じる年です。そんなこんなで、第一人者にしか分からない資質を王楽さんから感じ取った円楽師匠、心になにか期するところがあって集中的に稽古を付けたに違いありません。

「最初に教えられたのが三十分もある長い噺で、終わった時に師匠が『よく覚えたね』って、ニッコリ笑ってくれたことが今も忘れられません。噺の中で茶碗を持つ手つきがブルブル震えてしまうほど緊張しました」(王楽さん)。

六歳で日暮里に住み付いて以来の荒川っ子。ひぐらし保育園から地元の小、中学校に通い駒沢大学英文科の卒業です。意外ですが大学時代にふとしたことで寄席を見るまで、落語とはまったく無縁。「それまでは『笑点』の大喜利みたいなものが落語だと思ってました。もちろん人前で噺をしたことはなく、円楽師匠の前が初めてでした」。

カエルの子はやっぱりカエル。一度の寄席体験をきっかけに、寄席通いが始まり、好楽師匠が千本も持っている名人上手の落語テープを聞きつづけるうちに、落語家志向が固まりました。最初は反対した好楽師匠、「世間を知るために体験させた」デパートの食品売場での一年間のアルバイトを経ても、決心が変わらないのを見て根負け、とうとう兄弟弟子になった次第です。

銀座ガスホールの楽屋。円楽師匠を選んだ理由を尋ねると、王楽さん涼しい顔で「父親を兄(あに)さんと呼んでみたかった」。後ろで「ナニッ馬鹿野郎」と叫んだ好楽師匠の顔、とろけていました。十月恒例の日暮里サニーホール「好楽の会」で、今年は初の親子競演が見られます。

読売新聞・富田 武三