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No.154  菅野拓也(かんのたくや)

芸能文化へ強い思い入れ
南千住に転居7年、芭蕉にも挑む

肩書が、いくつかあります。

まず、舞踊評論家。原点は朝日新聞記者として、32年間、放送文化、芸能、舞台芸術の取材、評論に携わったことです。

「出身大学が多摩美術大学の絵画科だったので、多少の芸術に関する感性があるだろう、と配属されたんです。でも、そのおかげで、世界で活躍する一流の舞台芸術家たちには、すべてインタビューできました」

その実績や評論活動が評価され、文化庁が主催する芸術選奨の舞踊部門審査員も務めています。

「ボランティアみたいなものですよ」

と照れくさそうですが、舞踊芸術に対する姿勢には、一切妥協はありません。

「例えばバレエ。日本でも最近、若手の有望なダンサーが台頭してきました。彼らの舞踊は百点かもしれませんが、百二十点ではありません。整然として、律義で、破綻もないかわりに、観客の魂を揺さぶるものが私には感じられない」

それは多分、日本の教育における個の欠如だ、と菅野氏は推察しています。

「日本では全員が同一であることが要求されます。フランスでは教師が子どもをこう叱ります。『隣と同じことをやっていたらダメじゃないか』と」

だから、本来、「個」が重要であるべき日本の俳優、女優に関しても、

「名優は12色のクレヨンを持っていて、どんな色の役も演じられる。ところが、日本で名優と評価される人たちは、一色のクレヨンしか持っていない」

と辛口の評価です。それだけ、日本の芸能文化への思い入れが強い証拠でもあります。

1936年生まれの65歳。舞踊評論の他にも、『現代若者文化考』 『日本の女優50人-素顔と言葉』 『ダンス芸術の魅力』といったエッセー・著作があります。

詩人の肩書も。詩集『海』『薔薇園』の、その瑞々しい感性は、辛口の評論とは別の繊細な一面をのぞかせているようです。

最近では、芭蕉の「奥の細道]の謎に挑んだ『奥の細道 三百年を走る』を上梓しましたが、この本を執筆するきっかけになったのが、7年前に荒川区南千住に転居したこと。

「芭蕉と緑のある、千住大橋の手前の素盞雄神社を散策していて、25年前に朝日新聞に連載したことを思い出したんです。もう一度、やってみようか、と」

どうせなら、芭蕉の歩いた道を、同じ季節に巡って、文献を読むのではなく、その土地の人々の話を開いてみたいと考えました。自分の足で書く── ジャーナリストの基本です。

新たな発見にも出会いました。

芭蕉は新潟県の日本海沿岸、越後路で、

荒海や佐渡に
横たふ天の河

という有名な句を詠んでいます。

菅野氏の取材では、

「地元の人々によれば、(芭蕉が来た) 8月の日本海はまず荒れることがないそうです。それに、陸から佐渡は見えないし、天の川が見えても逆方向」

なのだそうです。

ただし、芭蕉が嘘を言ったのではない、と菅野氏は言います。

「詩人の視覚的な創造力が刺激され、架空の宇宙を創造させたところに、芭蕉のすごさがあります」

人間の内面、精神の躍動を自己の肉体だけで表現するのが舞踊の本質。その意味で、言葉を極限まで削って、宇宙を創造しようとした芭蕉の試みと、どこか共通するものがあるのです。

読売新聞記者・臼井 理浩