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No.151  遠藤勝造(えんどうかつぞう)

「日本いや世界唯一」を守る
毎日会社へ、多芸多才な94歳

町工場は、どこも同じような風景かも知れません。

スチーム油圧プレスにミキシング・ロール、押し出し成型、高圧ボイラー。製品を収納する棚に箱。蛍光灯に扇風機――。

機械油の香りが漂う工場の中では、日本の高度経済成長を支えた機械たちが肩を寄せ合い、今も、立派に働いていました。

ここは、「エボナイト」と呼ばれる材料を製造している国内唯一の工場です。あるいは、世界中でも、残っているエボナイト工場は、荒川区内の、ここだけかも知れません。

「やはり、少し、寂しいですね。大正時代初期には、国内で数十の会社が製造していたんですよ」

明治40年生まれの94歳。創業者で、現在は会長の遠藤勝造さんは毎日、会社に顔を出します。

「さすがに、仕事に口は出しませんよ(笑)」

茶色の天然ゴムに、一定割合の粉末の硫黄を加え、摂氏120度から140度で長時間、熱し続けると、エボナイト特有の、あの黒檀(こくたん)のような漆黒がうまれます。

エボナイトは150年も前、あるアメリカ人が天然ゴムと硫黄が混ざったまま燃えて、凝固したものを偶然に見つけたことから始まりました。発明は、こうした全くの偶然から生まれるものかも知れません。

「大正時代は、電話の受話器の素材、ソケットの絶縁部分、下敷きなど、日本人の生活に密着したところで活躍したんです」

かつて、万年筆といえば、エボナイト製が一般的でしたし、今でも高級品には用いられているようです。

悲しい記憶もあります。

戦時中、エボナイトの優れた絶縁性や耐熱性は、日本の軍需産業にとって、なくてはならないものでした。

潜水艦や装甲車、航空機などのバッテリーケース、高度計、速度計の外枠などの製造で、遠藤さんは静岡県内の軍需工場に工場長として赴任し、エボナイトの製造法を伝授した経験もあります。

エボナイトは次第に姿を消しつつあります。

プラスチックなど化学合成の進歩で新材料の登場が新旧交代を促したのです。

「仕方がないことです。でも、私は昔、最後の一人になってもエボナイトを作ることはやめない、と誓ったんです。だから、今後も作り続けますよ」

そう遠藤さんは力強く言います。

今でも、木管楽器の中で最も大きいファゴットの内部のしんやマウスピースの部分にエボナイトが用いられています。

「専門家によれば、プラスチックでは出せない音色、唇の微妙な感触が、エボナイトを使った楽器にはあるそうなんです」

遠藤さんの一日は、朝4時10分、ベッドの上でのストレッチ体操から始まります。夜9時の就寝まで、日課の写経や様々の運動をこなします。

多芸多才。合気道のほか、謡曲や書道、詩吟にも造詣が深く、荒川区の吟剣詩舞道連盟の理事長も長く務めました。

規則正しい生活に加え、そうした趣味の多さも長寿の秘けつのようです。

もう一つ、長生きの秘密は、夫人のたかさん(91)への愛情でしょう。

結婚72年たった今でも、たかさんは

「とっても幸せ。一緒になって本当に良かった」

と穏やかな笑顔で語っています。

読売新聞記者・臼井 理浩