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No.145  鍔本 幸代(つばもと さちよ)

荒川の子供たちに箏の音を
“師”の母と演奏活動に全力

柔らかな子どもの掌。人さし指と親指に、ナイロン絃がくいこむ。少女にとって、音をシャープにさせ、音程をコントロールするには、箏の絃は硬すぎました。

それでも、たどたどしい箏の音色は、大好きなテレビの少女アニメの主題歌を奏でます。日本古来の伝統ある絃楽器で「キャンディ・キャンディ」が演奏されたのは、おそらく初めてかも知れません。

でも、そのおかげで、少女は、平安朝から続くこの楽器が好きになりました。

「物心ついてから、家の中にはいつも箏の音がしていました。箏の糸に触れたのは、三歳のころ、と母から聞かされました」

その母親は現在、荒川区邦楽連盟の副理事を務める鍔本和子さん。和子さんも六歳から箏を始め、東京芸術大学邦楽科に進みました。

「音楽に関しては、妥協を許さない、厳しい女性です」

音楽家の母の指導の下、六歳からはピアノも始め、平成五年に東京音楽大学の声楽科に入学。在学中から、オペラやミュージカルなどの演奏会に出演しました。

「西洋の現代音楽、クラシックを勉強して分かったのは、音楽に洋楽、邦楽の区別など要らない、ということです。箏の譜面の表記法は西洋音楽の五線譜とはずいぶん違いますが、結局、同じことを表現しているに過ぎません」

一見、頑丈そうに見える箏は、実は繊細な楽器です。桐の板を張り合わせた胴の部分は、中が空洞になっています。絃の振動が桐の木を震わせます。数年問弾き込んでこそ、桐はようやく、あの心安らぐ音色を奏でるのです。その上、箏爪が絃に当たる角度が少しでもずれると、箏はきれいに鳴ってはくれません。

第六日暮里小や諏訪台中で二十絃箏の演奏をしたところ、大多数の児量・生徒が箏を見たこともない、と答えたといいます。でも、大人でも似たようなものかも知れません。箏から連想されるものといえば着物、赤絨毯、正月に流れる「春の海」…。

「どんな国でも、自分の国で生まれた楽器は大切にするものです。ところが、日本の学校の音楽の教科書が邦楽に割くのはわずか一、二ページなんです。海外に向かっても、私たちは箏の素晴らしさをもっとアピールすべきだと思います」

そのためにも、箏の音色を身近に感じてほしい。皆が知っているポピュラーミュージックを通じてなら、箏への興味を引きつけられます。

児童・生徒を前に彼女が演奏したのは、古典ではなく、ディズニー映画「ピノキオ」挿人歌の「星に願いを」。
電子音楽に慣れて箏なんて退屈、と感じていた子供たちは、箏が奏でるアコースティックな名曲に、じっと聞き入ったそうです。

レパートリーも増えました。「ムーンリバー」「男と女」などの映画音楽、ビートルズの「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」

「本当は、古典の方が、はるかに演奏は難しいんですよ。古典はゆったりしているだけ、一音一音に心を込めて弾かないといけませんから」

昨年10月26日には、日暮里在住の詩人で作家の牧野徑太郎氏作「戦場のボレロ」がムーブ町屋で舞台化されましたが、彼女の箏も重要なBGMとして演奏されました。

「今後も母と一緒に演奏活動を行います。箏とピアノ、箏と声楽といったバリエーションで、箏の可能性を最大限に引き出してみたい。箏は21世紀に伝える、日本が生んだ最高の楽器ですから」

読売新聞記者・臼井 理浩