宮本武蔵主義で「一番に」
原点、荒川五中時代の”常勝”野球部
往年の総天然色シネマポスターを前に、西田敏行がリメイク宮本武蔵役に初挑戦―というわけではありません。
ここは新宿にあるラーメン店。その名も「麺屋武蔵」。写真の主は山田雄さん。
「とにかく一番になりたかったのです。宮本武蔵は一番になるためにあらゆる努力をしました。私も二番は嫌いです。『前例なしの亜流なし』。このムサシイズムが私のモットーですね」
ソフトな口調から発する明快で大胆な発言。まさに斬馬剣の一太刀のような迫力です。
それもそのはず。全国ラーメン愛好家の2大ホームページで、三年連続「日本一」の栄冠に輝きました。コクと味のある発言もこんな”仕込み”があったのです。
「武蔵」ラーメンの奥義は、さぞかし崇高で厳格なのでしょう。ましてこのギョウカイでは食材や料理法を問うと、「企業秘密です」なんて答えが返ってくるものですが、「サンマの煮干しです」と、これまたさらりと開陳。「それに羅臼昆布、トンコツにトリガラ、タマネギ・ニンジン・ジャガイモなどを加えたのがスープのベースです」
山田さんが秘技「サンマの煮干し」を会得したのはバブル後。当時アパレル業界に身を置いていた山田さんが、二つの洋品店を休眠状態にして未知の世界へ飛び込む契機となったのが、コレでした。
「友人との会話で、サンマの煮干しの話が出ました。ラーメンのダシでは前例がありません。興味を持ちましたね。これでステージに立つ自信がついたのです。もっとも安定した味になるまで、半年はかかりましたけど」
1号店の青山店がオープンしたのが96年5月。2号店の新宿店は昨年5月、大通りから少し路地へ入ったところに構えました。お客の行列が他の店に迷惑にならないよう配慮したからです。事実、取材で訪れた昼休み直前時でも長蛇の列。ほとんどが遠来の客で、中には大阪から駆けつける人もいて驚きました。
店内に入って2度びっくり。冒頭のレトロなポスターやアンティークな骨董品が漆黒の壁に掲げられ、広い調理場や働く従業員の動きが一目瞭然。そして何とBGMにはジャズが流れているのです。
「見られる厨房はいつも清潔にしておかなければなりません。ラーメンに限らず食事のおいしさは舌だけで味わうものではありません。内装もサービスも接客態度もトータルで心で味わうのです。当たり前のことを当たり前にしているだけですよ。私はここはレストランだと思っています」
ベトついたテーブル、再利用の空きビンに入った調味料、無愛想な給仕のおばさんに講釈たれる頑固親父・・・・・店はきたないが味は天下一品、なんてラーメン店のイメージはどこにもありません。
「実は私、ラーメンはそれほど好きなわけではありません。まあ、みなさんと同程度です」
これまた武蔵流の含蓄ある言葉。奢ることなく絶えず目線を一般のお客さんたちと同じにしているのです。
とはいえ、求道者山田さんには原点があります。荒川区立第五中学校時代、2、3年のときエースで4番。山田さんの在学3年間、同野球部は周辺地区で常に優勝を果たしてきました。同中でただ一人、スポーツ特待生に選ばれ、都立科学工業高校へ。
「毎朝5時から荒川河川敷を走りましたよ。でもその後背が伸びなくて・・・。荒川ほど下町らしい下町はありませんね。よく悪さをしたものですよ」
現在、住居は青山。添い遂げた「お通」の久枝さん(31)と二人暮らし。二人で外食することが忙しい生活の中で最大の楽しみとか。今夜もどこかでパチンと箸の割れる音が。食べる時も山田式二刀流がテーブルの上で躍ります。
読売新聞記者・中村 良平
カメラ・岡田 元章