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No.121  セレス小林(せれすこばやし)

つらい寮生活超え大空[セレス]へ
「人情もロードも快い荒川」

南千住に住む小林さんは、昨年9月30日、挑戦3度目で悲願のボクシング日本フライ級チャンピオンの座につきました。

「ベルトをもらったことすら、よく覚えていないんです。リング上で子供の柚香をだっこした時、やっと我にかえった感じです」

茨城県岩井市出身の25歳。近くに道場があった関係で小学校の時に合気道を始めました。しかし、本人は不満でした。

「合気道って試合ができないじゃないですか。そんな時、ボクシング雑誌を見てやりたくなったんです。そのころは世界チャンピオンの大橋秀行さんに憧れたなあ」

両親には反対されましたが、高校3年の時、知人から、現在所属する東京の名門「国際ジム」を紹介されました。

上京したのが91年。まず入ったのが荒川にあるジムの寮でした。「6畳に3人。クーラーがなく暑くて暑くて」。その後も宮地交差点周辺に住んだので、「あのあたりは知り尽くしている。『やめて帰ろうか』と悩んだつらい思い出も、いっぱい詰まっています」

97年3月に智恵夫人と結婚。昨年春、今の南千住に移りました。

日本チャンピオンですが、「千代田セレモニー」という冠婚葬祭会社の社員。9時から5時まで働いて、午後6時から8時までが練習時間です。出勤前のロードワークも欠かしません。コースは隅田川沿いを約7キロ。試合の1か月前には荒川の土手にコースを変えます。「川が近くにあって、走っていて気持ちがいい。車の往来も激しくなくていいですね」。荒川の土地は最適のようです。

さらに、荒川の人たちの気質も好きになっています。グローブを持って歩いていると『ボクシングやってんだ』と、見知らぬ人も気軽に声をかけてくれる、と言います。「近くの魚屋さんなんか、日本王者になった時には自分のことのように喜んでくれて、鯛の尾頭付きをもらいました。東京なんだけど東京っぽくないというか、親しみがありますね」。いまや第二の故郷になりつつあるようです。

「セレス」という名前はラテン語で「大空」の意味だそうです。デビューは小林昭司という本名でしたが、日本ランキング入りすると、カタカナのニックネームをつけるのが国際ジムの伝統というわけで、ジムが生んだ世界チャンピオンも「ロイヤル小林」「レパード玉熊」でした。

今では「出世した証拠ですから。セレス小林という語呂もなかなかいいでしょ」と気に入っています。

小林さんはサウスポー。アウトボクシングも接近戦もできるボクサーファイターというタイプです。得意のパンチは左ストレートと右フック。もともとセンスがありましたが、世界チャンピオン辰吉丈一郎さんや元世界王者の川島敦志さんのスパーリング相手をして腕を磨きました。

「辰吉さんはオーラというか、雰囲気がすごかった。川島さんはうまかった。川島さんとやってからボクシングが変わった、とまわりからよく言われます」。同じサウスポーで、世界でも定評の防御技術を持っていた川島さんとグローブを交えたことは、何よりの財産になりました。

3月には初防衛戦を控えています。相手はプロ3戦目で王座を狙う石原英康選手。「日本チャンピオンだけど僕はまだまだ挑戦者。これまで練習してきたものを出したい」と燃えています。

文・荒井 秀一
カメラ・岡田 元章