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No.106  野沢 雅子(のざわ まさこ)

アニメ、洋画の男の子専門
やんちゃ育ち、今も花見は谷中へ

「子供のころは、原っぱでチャンバラばかりしていました。男の子の中に一人混じって」

「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎、「銀河鉄道999」の鉄郎、「ドラゴンボール」の悟空…。テレビや映画で聞き慣れたアニメの主人公の声が、目の前から響いて来ます。

「ひとりっ子で過保護に育てられたせいか、男勝りでしたね。お人形さんを買ってもっても、鉄砲や刀の方が好き。それも、私は切る役ばっかりなんですよ。男の子が『切った、切った』と言っても、『切られていない』と言い張っていました」

今も八割は男の声の役というのも「下町っ子のころの活発さが原点にあるのでは」と笑います。

日暮里四丁目の生まれ。父は画家の野沢蓼洲(りょうしゅう)。おばの佐々木清野が松竹の女優だった縁で、三歳の時から子役として映画に出演したそうです。

「最初に出た映画は題名も覚えていません。母子の愛情を描いた『母もの』が多かったようです。仕事をしているという意識はありませんでしたが、父母が歌舞伎や新派の芝居が大好きでよく連れていかれたせいか、子供のころから、将来は女優になるんだと心に決めていました」

ところが、アレルギー体質で体が弱かったため、小学三年で群馬県へ引っ越すことに。父が尾瀬を描いた作品で日展に入選したこともあって、群馬への愛着が深く、高校卒業まで暮らしました。そこでも、おてんばぶりを発揮。いじめっこの男の子を竹ぼうきでこらしめたそうです。

声優を始めたのは、十代の終りごろでした。中学の時に劇団に入り、学校が休みになると東京で女優の仕事をしていました。高校卒業後、上京して本格的に芝居に打ち込みましたが、苦しい劇団の経営を支えるための手段が「声の仕事」だったのです。

「テレビの創成期で海外ドラマが数多く放送されていました。当時は声の吹き替えも生放送だったので、少年役に子供を使うのは心配。でも、大人の男性では声変わりしているので、女性が子役に選ばれたのです」

西部劇の全盛期。「必ずと言っていいほど、少年が登場し、その役はほとんど私のところに来ましたね」。声優を目指していたわけではないのですが、いつの間にか声の仕事が忙しくなり、今では声優界を代表するベテランです。

「役者としての作業は一緒。俳優か声優か、呼び方が違うだけです。今は胸を張って声優ですと言えますね。肌に合っているのでしょう」

現在は横浜に住んでいますが、年に二、三回は荒川を訪れます。必ず来るのは、桜の季節。

「娘といつも行くのは、日暮里駅近くの谷中の墓地。花びらがピンク色のじゅうたんのようで、ビニール袋に花びらをすくって持ち帰るんです」。駄菓子屋に足をのばすことも多いそうです。

「ドラゴンボール」の声は放送十二年目を迎えた今も現役。「銀河鉄道999」も来春、映画で復活します。いつまでも変わらない、声の若さの秘密は何ですか?

「いつまでも少年の心を持っていたいと思っているせいでしょうか。子供って、どんな事にも『なぜ、どうして』と疑問を持ちますよね。少年の声を出す時は、始めから終わりまで少年でいなければいけないと思うんです」

鬼太郎の話の時は鬼太郎の声、鉄郎の話題になると鉄郎の声に早変わり。一度聞いたら忘れない声は、その役になりきることから生まれるようです。

読売新聞記者・多葉田 聡
力メラ・岡田 元章