トップ   >  荒川の人  >  No.102

No.102  一峰 大二(かずみね だいじ)

テレビのヒーロー続々漫画化
子供時代は舗装路に描きまくる

不思議な魔球が登場する野球漫画「黒い秘密兵器」、月光仮面のような正義の味方が活躍する「七色仮面」……。懐かしい題名に思わず胸をときめかせるファンも多いのでは。「白馬童子」「ウルトラマン」など、テレビのヒーローを次々と漫画化し、子供たちの心を熱くしました。

現在の東日暮里三丁目、酒屋「中村屋」の八人兄弟の五番目で、漫画家になるために生まれたような子供時代だったと言います。

「小学二、三年のころ、戦争で空襲が激しくなり、周りの子供たちが、みんな疎開して行ったんです。その時、漫画本を処分していったので、くず屋さんには『のらくろ』など人気漫画家が天井まで山積み。ご飯を食べに家に帰る以外は、入り浸って読んでいました」

都内でも進んでいたという区内の道路舗装が、意外なことに、漫画の腕を上げるのに役立ったそうです。

「当時は四角いコンクリート板を道路に敷きつめてあったんです。漫画で言えば、一枚が一コマ。そこに、戦時中ですから、飛行機や軍艦、戦車などを描いていったんです。は白墨(はくぼく)では減りが早いので、ろう石を使って描いたものですよ」

終戦後、実家の酒屋で働くうちに体をこわしたのが、本格的に漫画の道を志すきっかけになりました。腎臓の一つを摘出する手術を受けた後、静養中に漫画を描いていて、決意したのです。

十九才の時、知人の紹介で挿絵画家の岡友彦さんに弟子入り。二十一歳の時には早くも、岡さんの紹介で、雑誌「少年」増刊号の「からくり屋敷の秘密」でデビューを飾りました。

その後は、とんとん拍子。当時ヒットした「月光仮面」に続いてテレビ化された「七色仮面」の漫画をまかされ、テレビ放送と同時に連載を始めました。

「紙芝居で育った世代ですから、ヒーロー物も抵抗なくやれました。今思うと、敵と向かい合っているのに、相手のピストルに、こっちが撃った弾が横から当たったり、おかしいなと思う場面もありましたけれどね」

地元や、自身の少年時代の体験を基に描いた作品も、たくさんあります。

「『野球横丁』は、商店街の野球チームが主役。荒川のほとりのグラウンドで試合をする設定でした。テレビでも放映された『ト伝(ぼくでん)くん』は、モップのような棒を刀にチャンバラごっこをしていた子供時代を描いたもの。学生服の一番上のボタンだけをはめ、そでには腕を適さず、マント代わりにして遊んでいた姿を、そのまま漫画にしました」

漫画の中で、つい下町言葉が飛び出したり、登場人物を「ちゃん」付けで呼ぶくせも、荒川生まれの影響かもしれな いと言います。

実家が今も区内で居酒屋を営んでいることもあって、埼玉県所沢市に住む今も度々、荒川に足を向けます。

「子供のころ全速力で走れた路地が、今は狭くて狭くて、肩がぶつかっちゃうんです。昔は、どう いう訳か、降りる時、足のリズムがワルツになっちゃうので『ズンチャッチャ坂』なんて名前を付けて遊んだのも覚えています」

六十一歳の今も現役。現在は、全五巻の単行本として出版予定の「怪盗ルパン」に全力投球しています。

「歴史ものや戦国ものを描いていきたい」そうで、これからも子供たちを楽しませて

くれるでしょう。

読売新聞記者・多葉田 聡
力メラ・岡田 元章