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No.91  猿谷 要(さるやかなめ)

おおらかだった小学校
戦争体験からアメリカ研究

 「床屋へ行くと、頭が炭の粉で真っ黒になっていたんですよ。バリカンで刈った跡が白い線になって、あきれられました」

 一九二三年、現在のJR三河島駅近くの炭問屋に生まれました。小さいころは、炭俵が積まれた倉庫が格好の遊び場。駅に貨車が到着するたびに、大勢の従業員が、炭を荷車で運んでは倉庫に積み上げたので、その粉を浴びていたそうです。

 「第三峡田小学校(後に第一峡田小に転校)へ通う道沿いには立派な商店街があって、もう、すでに原っぱはありませんでしたね」

 当時の小学校は随分おおらかだったそうです。社会科の商業に関する授業中、「この辺りで、どういう商売が成功しているか調べるため、道路沿いを見てきたい」と申し出ると、先生は即座に許してくれました。理科でヘビのことを教わる前の週に、「先生、ヘビを捕ってきます」と言って、友達と学校を飛び出し、荒川まで出かけたこともあります。

 「実はヘビが怖くて、捕る気なんて無かったんですよ。お化け煙突を見ながら、土手の周りを飛んだり跳ねたりしていました。友達がみんな教室にいるのだと思うと、ゾクゾクしましたね」

 後にアメリカについて研究をする素地も、そのころ芽生えたのではないか、と感じるそうです。

 「当時の荒川は河原も広くて、今よりもずっと大きく見えました。アメリカの作家、マーク・トウェインの小説が大好きなのですが、トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの物語もミシシッピー川が舞台。この川のほとりを見た時、昔の荒川を思い出しましたね」

 太平洋戦争の時は陸軍のパイロット。終戦間近に米軍機の攻撃を受けた際、超低空で飛び去った米軍パイロットの顔を一瞬、目撃したことが、その後の一生を決めました。

 「少年の面影が残る、とてもいい顔だったんです。それまで『鬼畜米英』としか教えられず、何も知らずにいたことに気づいた。もっとアメリカのことを知りたい、と思いました」

 研究は歴史に限らず、政治、社会、文化、日米関係など多岐にわたります。夫婦で車に乗り、アメリカ中を走り回った経験を生かし、庶民の生活感覚あふれる語り口で知られています。著書も多く、間もなく夏季五輪が開幕するアトランタの歴史を分かりやすく解説した「世界の都市の物語アトランタ」(文芸春秋)が刊行されたばかり。五輪に関する取材や執筆などで忙しい毎日です。

 「アメリカの中でも、南部は長い間忘れられていました。日本人にとっても、身近なのはニューヨークやワシントン、サンフランシスコ、ロサンゼルスぐらい。でも、キング牧師やカーター元大統領の活躍で復権した南部のシンボルとして、今回のオリンピックを機にアトランタのことをもっと知って欲しい」

 現在のアトランタには日系企業の進出が相次ぎ、州単位ではアメリカ国内で三番目の多さとか。日本食レストランが立ち並び、夏には、常駐の日本人が、駐車場で「ボンダンス(盆踊り)」を楽しむ光景も見られるそうです。

 何度も暮らしたというアトランタでの五輪へは、当然出かけるのでしょうねと尋ねたら、 「五輪が終わり、ホットな状態が少しクールになった九月ごろ渡米しようかと考えています」

 旅行好きで知られるだけに今から楽しみで待ちきれないといったように、目を細めました。

読売新聞記者・多葉田 聡
   力メラ・岡田 元章