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No.87  篠崎 実(しのざきみのる)

「素晴らしい人生」突っ走る
"日本一"をとった町屋っ子

「こんな素晴らしい人生はないねぇ」。大好きなオートバイが高じて、レーサーの道に飛び込んだのが二十一歳。それから四半世紀。この世界では、「みのる」をもじって「ミッキー」といえば知らぬ者がいないトップクラスの選手です。埼玉・川口オートレース場所属の人気者。昭和六十三年に日本選手権初制覇。ほかのプロスポーツのようには目立たず、騒がれませんでしたが、東京出身の選手として初めての快挙でした。

その三年後の第七回オールスター戦にも勝ち、昨年は五十五勝して初めて獲得賞金を六千万円台に乗せました。レース人生が面白く無いはずがありません。

「無理しない事。無理をして割り込めば相手に迷惑をかけ、強いてはけがにつながる」というのが勝負哲学。それでいて連にからむ率は85パーセントというから、ファンは多いし、選手仲間の人望が厚いのもうなずけます。1㍍64、57㌔の体が、大きく見え、「いじめられっ子だった」姿など想像できません。

一周500㍍のコースを、左回りに6周するレース。レース用のタイヤは、車体を大きく傾けられるように三角型になっているので、雨ならさらにスリップの危険が高くなります。それなのに「雨は大好き」とか。確実なテクニックに加えて沈着冷静なのでしょう。

それに、キャリアが半端でないのです。

第五峡田小時代すでに50ccのバイクに魅かれ、またがっていました。さすがこの時は感触を楽しむだけでしたが、第六中(現原中)を経て、十六歳になるとすぐ自動二輪免許をとりました。アクセサリー会社に勤め、働いてためた十万円で早速300ccのオートバイを買い、夜の環状七号線を突っ走ったのが、昨日のようによみがえります。

その後、イギリス製のトライアンフにはじまり、スピードを求めて次々と車を乗り換え、若い女性にも、遊びにも一切見向きしないで、給料はオートバイにつぎこみました。

オートバイを友にして、突っ走って来た人生は、すべて即断即決。買い物でも、あれこれ迷った事は一度もありません。決断力が早いのは、瞬間時速150㌔のスピードの世界で生きて来た男の習性なのでしょう。

そんな生き方は、生まれ育った町屋ではぐくまれました。

「江戸っ子気質が色濃く残っている土地柄です。住んでいる人は、くよくよしないんです。気持ちの切り替えが早いというのかなあ。それになんとなく安心感があっていいですよねえ。下町はいい所です」。

四年ほど九州で暮らしたほかは、町屋を離れたことがありません。家にいる時は、愛妻家で子煩悩な父親です。近所のスーパーヘ夕食の買い物に行ったり、子供さんを連れてあらかわ遊園に遊びに行ったりします。

五歳の友治君は、運動神経が抜群によく、三歳半で自転車の補助輪をはずして走り、父をうれしがらせました。その友治君が、父がどうしても勝てない選手の名前をあげて「ぼくがやっつけてやるから」なんて言って、泣かせます。

篠崎さんは、この二月で四十七歳。今年はねずみ年、ニックネームはミッキー。げんをかつぐ選手稼業。いい年になりそうです。

読売新聞記者・柿沼 正行
カメラ・岡田 元章