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No.76  日下 千帆(くさか ちほ)

町の良さ、取材で再発見
お祭り、もんじゃ好きの水泳少女

「つい最近、大井町に引っ越して一人暮らしを始めるまで、二十七年間、南千住の実家に住んでいました」という生粋の荒川っ子。平成三年入社以来、天気予報やニュースを担当してきました。現在は土、日曜早朝の「ANNニュースフレッシュ」キャスターや、バラエティー番組「邦子にタッチ!」のリポーターとして活躍中です。

実家は代々続いた医院で、戦争直後に浅草から南千住に移り住みました。子供のころの思い出といえば、下町らしく、やはり、お祭りともんじゃ焼きです。

「実家近くの神社のお祭りでは、中学生ぐらいまで、おみこしをかつぎました。町内ごとにハッピをそろえたりして。鴨川と幼いころはユカタ姿で山車も引っ張っていました。もんじゃ焼きは、小学校から帰宅の途中よく食べに行ったのを覚えています。当時は百五十円ぐらいだったかな。でも、昔行った店が無くなってしまい、最近は食べなくなりましたね」

小さいころから運動が得意で、第二瑞光小時代は三ノ輪のスイミングスクールで活躍。南千住の小学校が集まる大会で代表にも選ばれました。

「クロールが得意でしたが、他の選手も速いので、背泳ぎに出場して賞をねらっていました。今も天王洲アイルのプールに通い、毎回1㌔ぐらい泳いでいます」

台東区にある中学、高校を経て成蹊大学へ。

テレビ局のアナウンサーになったのは「学生時代は、広告代理店に入ってイベント企画の仕事をしたかったのです。けれども、いろいろな会社を回るうち、テレビ局を希望するのは口が達者で、自己主張も強い人が多く、面白そうだと思ったから」だそうです。

アナウンサーの仕事で荒川区内を訪れることも、しばしばとか。最近、印象に残ったのは訪問看護婦の取材。荒川は都内でも普及が進んでおり、実家の医院に通う患者さんのお宅に伺ったそうです。

「訪問看護婦は、寝たきりの患者さんのお宅を訪ね、おふろなどの世話をするのです。費用もそう高くはなく、良い制度なのですが、PR不足で知らない人が多いのが残念です。区は難病対策に積極的だったこともあって、医者と看護婦と患者のチームワークが良いのです」

永年住みなれた荒川ですが、取材で訪れ、改めて発見することも多いそうです。

「時の記念日にちなみ、都内にある、からくり時計を調べたのですが、京成線町屋駅前のイーストヒルにあるのを初めて知りました。また、あらかわ遊園で生まれたアライグマの赤ちゃんを取材した時は、遊園がきれいになっているので、びっくりしました」

実家が医院だっただけに、近所の人はみんな顔見知り。南千住から通勤していたころは、電車内などで突然声をかけられることも多かったそうです。

「見てますよ、と声をかけてくれるんです。温かさを感じて、うれしいですよ」

荒川の良い所を一言でいうと、「気をつかわなくてよいところ。木造の商店などが今も残っていて、昔の東京はこうだっかのだなと感じさせてくれます。ほかにはないんいじゃないですか。都心から近くて通勤も便利なのて駅ビルなど買い物できる場所が増えて若者の多い街になれば、もっと良いと思います」

今も週一回は町屋駅前のフラメンコ教室に通っています。大学時代から続けており、年一回は発表会にも参加するはどの本格派。実家を離れても、荒川との縁は、まだまだ続きそうです。

読売新聞記者・多葉田 聡
力メラ・水谷 昭士