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No.75  橋 幸夫(はし ゆきお)

震災救援の12人公演成功
「荒川は生まれ故郷、よろしく」

ニッポン放送「玉置宏の笑顔でこんにちは」に出演直後のインタビュー。局の三階にある喫茶室に現れた時の表情は、どことなく充実感が漂っている感じでした。

「阪神大震災が発生したでしょ。一月十七日の朝、テレビで知り本当に驚きました。あの地区にはお世話になった方が大勢います。ファンクラブのうち百人くらいの方が神戸にいまして。まず電話を掛けましたが不通でしょ。心配でね。四、五日で全員の無事が確認出来たのですが、その後、居ても立ってもいられない。さあ自分は何をするべきなのだろうかと」

そんな時に仲間の三田明さんから電話がありました。

「彼は鹿児島にいたのですが、何かやりませんか。考えてくださいと言うのですね。やはり同じ気持ちでいたのでしょう。そこでコンサートをやろうと決断し、ほかの仲間に電話をし、玉置さんに司会をお願いしました。そしてメルパルクホールでのチャリティー公演が実現しました」

他の出演者は西郷輝彦、三田明、布施明、尾崎紀世彦、にしきのあきら、清水アキラ、金沢明子、今陽子、山本リンダ、ジュデイ・オング、黛ジュンさん。チケット収入に、会場での募金約百万円を加えた計千百万円ほどを、ニッポン放送を通じて被災地に送りました。

「一回限りにしたくないですね。この集まりを『歌で結ぶ絆の会』と名付けました。歌手は、歌うことで喜んでいただくのが仕事。この会を永く続けることを全員で決めました」

今年はデビュー三十五周年という記念すべき年。五月から予定している全国公演に先駆けての素晴らしい決意になりました。さてそのコンサ-トは、千葉県木更津市民会館をスタートして六か月間に全国百二十か所で二百回開催、二十万人に楽しんでもらおうという大規模なものです。

「潮来笠」「恋をするなら」「恋のメキシカンロック」、そして「いつでも夢を」「江梨子」、さらに「子連れ狼」「霧氷」-。だれでも知っている大ヒットで構成されています。

「今回のチャリティー公演もそうでしたが、五十一歳の僕に出来ることって何だろう

と考えました。三十五年前にデビューしたころ、僕の歌を聴いていてくださった方は同じように年をとっていくわけですね。全国のその方たちに、もう一度、僕の歌を聴いていただきたいという思いです。青春に戻ろうという気持ちもありますが、橋幸夫が頑張っている姿を見ていただくことで、皆さんが元気になれば、それが僕の役目だと思っています。健康、体力面で僕自身への挑戦でもあります」

この決意には生粋の江戸っ子の心意気が感じられます。生まれは荒川区の尾久町。「家は染物屋でした。九人きょうだいの末っ子で、五歳まで暮らしましたが、東京の下町の中では最も人情の豊かな町だと思っています。その後、池袋に移り、中学二年で中野に引っ越して家業が呉服店になりました。今は渋谷区神宮前です」

「いなかがないのは本当に寂しいですね」とぽつり。「東京が故郷という意識はありますが、郷土色というのが薄いでしょ。故郷に後援会があったりする仲間を見るとうらやましくなります。そう、僕の生まれ故郷は荒川。これから大いにかかわり合いを持っていきたいと思っていますので、よろしくおつきあい下さい」

読売新聞記者・寺村  敏
カメラ・水谷 昭士