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No.58  飯田 幸代(いいだ ゆきよ)

ドイツで伸びた荒川育ち
オイリュリトミーとの出会いも

パントマイムに興味を持ったのは、荒川二丁目に育ち、第二峡田小、荒川四中から淑徳高校に進んだころのことでした。「中学生の時に演劇部に入って、高校時代も続けましたが、言葉を発している時に体の置き方がどうしても分からなくて、自分の体の扱い方を学ぶためにマイムを吉田明美先生に師事しました」

師はテクニックの指導はもちろん、イマジネーションを膨らませること、自分を素材に料理する方法を教えてくれたそうです。

「ある程度の表現方法が身に付いた時、何を演じるかについてはすぐに結論が出ました。私の育った街は路地がいっぱいあって、まるで迷路のよう。家に沿って歩いていると突然、機械工揚が登場してマシーンの音が響いている。この不思議な景色が強く印象に残っていまして、これを作品にして公演をしました」

日本で最年少(18歳)のパントマイマーのふれ込みで、題名は「オートマティカ」。「カナカナゼミが鳴いていました。機械工場のわきを抜けると突然、人形の首が並んで干してあったりしたものです。この異様な風景から受けた衝撃などの心象風景を演じました」

二十二歳の持、友人を頼ってドイツのシュツットガルトに渡って二年半。「オイリュリトミー」を学び、この三月に帰国しました。

「シベリア鉄道に乗って北京からモスクワヘ。そこからワルシャワ、ウィーン経由で、日本を出てから十日がかりでドイツに入りました。そこで出会ったオイリュリトミーというのは、簡単に言えば、言葉を踊りにする技術です。言葉の響きを身体表現にする、と説明したら分かっていただけるでしょうか。あちらでは障害の治療などにも使われています」

「マイムにオイリュリトミーを身に付けたことで、より表現力は豊かに?」と尋ねたら「いえいえとんでもありません。オイリュリトミーをマスターするのには七年かかります。それよりも困ったのはマイムとオイリュリトミーは根本的に体の使い方が違うのですよ」

マイムは「形を作る、静止する、固める、内に向かう動き」などが多いが、オイリュリトミーは「外に向かう。伸びる、発散する」といった正反対の要素で成り立っているそうで、「今は、オイリュリトミーに順応してしまった体をマイムに適応させる訓練で全身がポボロボロです」と説明しています。

百五十五㌢、四十六㌔。インタビューの合間に「壁に沿って歩く」「ボールを受け、投げる」「階段を上る」「綱を引く」「投げとばされる」など、マイムの基本的な動きを披露しながら「ドイツでは様々なすてきなことに出会いました」と話し始めました。

「旅の途中やドイツで会った人が本当に優しかったんです。列車のコンパートメントで初めて会った人が、今日は私の誕生日だから記念の品物をあげようと言うのですね。ほかにもいろいろなことがありましたが、すべての人々が、この人と共通する優しさを持っています。そういう生き方に触れたことが最も大きな収穫だったと思います」

素晴らしい体験を抱えて歩き始めた今、さて何を計画しているのでしょうか。

「いま仲間が出来つつあります。ドイツから帰国したダンサーなどといろいろ話しながら何をやろうか考えています。様々なイメージをまとめて来年から公演をしたいと準備を進めています」と、静かに熱い心を語っています。童心を失わず、心の中に多くの風景を秘めた「二十五歳の少女」が、これから何を見せてくれるか楽しみです。

読売新聞記者・寺村  敏
カメラ・水谷 昭士