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No.56  日向 信吾(ひゅうが しんご)

日暮里を<タンゴの町>に
ライブに魅せられて35年

八月七日午後六時から、あらかわ遊園・アリスの広場で開かれる「あらかわ水上音楽祭 ─星空コンサート」をプロデュースしています。

「いろいろな音楽祭がありますが、この催しは、参加するアマチュア区民とプロが同じ舞台に立つというのが大きな魅力。大人が聴いて満足出来るような音楽を提供したいと思っています。そして、それは私のライフ・ワークでもあります」

音楽祭はフォルクローレ、ラテン、タンゴで構成されていますが、このうち、とくに力の入るのがタンゴです。そのタンゴに出会い、魅せられ、これを仕事にしてから長い歳月が流れました。

「鹿児島に生まれ、宮崎で育ちました。都立代々木高校の定時制から東京理科大に進みましたが、新宿のライブ喫茶で、藤沢嵐子さんの歌う『エル・ジョロン』というタンゴの名曲を初めて聴いたのが、高校生のころでした。わくわくして、とりこになって、かれこれ三十五年以上になりましょうか」

最初は愛好家でした。大学を卒業、都立高校の先生になりますが、好きなタンゴを仕事にしようと考えたのは昭和五十年。教師をやめて、住んでいた川口市にタンゴ喫茶を開くかたわら、地元の愛好家を募ってクラブを作ったり、大学生のバンドを集めたコンサートを開いたりで、次第にプロデューサーとしての腕を発揮するようになります。

「コンサートの企画、構成、演出の仕事に生きる道を見いだしました。藤沢嵐子、池田光夫、志賀情、菅原洋一、ほかにも様々な方と一緒に仕事をしてきました。演奏家や歌手になりたいと思ったことはありません。でもバンドネオンは好きでしたから、弾けるようになりたいと一日三百五十円のアルバイト代をせっせと貯金して、三万円の楽器を買いましたが、当時は教えてくれる先生がいませんでした。結局はうまくなりませんでした」

日本橋・三越劇場でタンゴのシリーズ・コンサートを連続開催しましたが、これが二十回で終わり、「さて次は」と考えて訪ねた先が荒川区。荒川区地域振興公社が応援して、平成二年から日暮里のサニーホールで「タンゴ・エン・ニッポリ」シリーズが始まりました。現在は東日暮里に事務所を構えています。その縁で今回の音楽祭のプロデュースを手掛けることになったのです。

「足元からタンゴを普及したい」が口癖で、今は日暮里を「タンゴの町」にしたいと考えているようです。

「大人が楽しむ音楽にはシャンソン、ジャズ、カンツォーネ、ハワイアンなど様々なものがありますが、やはりタンゴは最も親しみが持てる音楽といえるでしょう」

持っているタンゴのレコードが六千杖。うち二百枚は七十八回転のSPだそうですが、「本当はSPが聴くのに一番いいんですよ」と音質についての話を少々。

「SPは中音がいいんですよ。もちろんステレオではありませんね。でも一人で聴くぶんにはモノラルで十分。音が最もいいのは、昔ながらの電蓄かゼンマイを巻く蓄音機。僕は今でも、そのどちらかで聴くことにしています」

タンゴのだいご味はやはり生演奏。その機会は、今回の音楽祭か「タンゴ・エン・ニツポリ」で、となる訳ですが・・・・・・。

「そう。ライブです。僕は三十何年か前、ライブの魅力のとりこになったのかもしれません。そのタンゴを生でお聴かせする仕事を一生続けたいと思っています」

読売新聞記者・寺村  敏
カメラ・水谷 昭士