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No.47  米川 佳伸(よねかわ よしのぶ)

「日本人は立場を明確に」
苦手だった英語、役立つ剣道

冷戦後の世界で、いま国連の役割が注目されています。米川さんは、十四年前ニューヨークの国連本部職員となり、以来、世界百七十九か国加盟のこの国際舞台で大活躍しています。

このほど一時帰国して、故郷の荒川区で講演したのを機に、お話を伺いました。

─外から見た日本はどうでしょう。

湾岸戦争の時に感じたのですが、日本は自国の立場だけを相手に押しつけるきらいがあります。アメリカのやり方は、まず圏内世論を囲め、安保理で国際世論を取りつけてから行動に移しているのです。ところが、日本は最初からイエスと言っても、国内上の手続きなどで時間がかかるため、結局は相当な額のお金を出しながら、他国からは遅すぎると見られるのです。できること、できないことを初めにはっきりさせておけば、批判されることもないのですが。

─PKO(国連平和維持活動)として、カンボジアに自衛隊が派遣されましたが。

日本に、体を張った努力が期待されています。同時に、日本の国力に対する恐れがあるという事も予想しなくてはいけません。

─日本には、国連をなにか超国家的な権威とみる人が多いようですね。

政治家にもマスコミにもそういう傾向が見られますが、国連というのは各国が集まり交流する場なのです。自治体も民間も、もっと有効に国連を利用すべきです。先年、滋賀県の信楽で国際陶器展が開かれたさい、ある在日韓国人が、南北朝鮮と信楽の三か所の土を混ぜてつばを焼き上げ、国連広報センターに寄贈しました。また、日本の少女が書いた「地球の秘密」と言うマンガを機会に、国連総会議場に二千五百人を集め、海を救う環境問題のキャンペーンを行いましたが、この時に日本の児童画三百枚を掲示し大成功でした。これらは、だれもが国連を身近なものとして利用できることを示す好例です。

─生粋の荒川っ子。

ええ。真土小(当持)と十中に通いました。それから都立江北高、国際キリスト教大を経て、ニューヨーク州のシラキュース大に留学して、国際関係論を勉強しました。

─さぞ英語は得意だったのでは。

それが全くだめでした。中学で英語を習い始めの頃、先生に「アメリカ人やイギリス人が話していることを全部覚えるのですか」ときいたら「そうです」と言われお先真っ暗になったのです。とにかく英語が苦手のまま大学受験して失敗。

─それでどうしました。

浪人の一年間、ある英語の教育機関でブロンドの女性から本場の英語を学び、大学に入ってからも集中してやったおかげで、すっかり度胸がつきました。

─剣道五段。ニューヨークの道場で指導しているそうですね。

荒川十中のころ剣道をやって荒川警察の道揚にも出かけたりしていたのが役に立っています。剣道は日本を代表する武士道文化ですから。向こうでは、ニューヨーク日本評議会の理事や、アジア系住民のためのコミュニティ活動もやっています。犯罪に巻き込まれて因っている人たちを助ける仕事です。

国際都市ニューヨークで多方面に活躍する米川さんは四十二歳の働き盛り。二人の息子さんは国連のインターナショナル・スクールに通っています。

「これからますます外国人との付き合いが増える。そのためには、自分がまず日本人であること、荒川の人であることなど、立場をはっきりさせることが一番大事です」と、後続の若い人たちにメッセージを送っています。

読売新聞編集委員・平田明隆
カメラ・水谷昭士