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No.34  滑川 五郎(なめりかわ ごろう)

庶民も巻き込む舞台を
「世界の洞窟巡りを公演したい」

栃木県の大谷石採掘揚の巨大な地下空間、品川の大倉庫─こんな自由な場所が滑川さんの舞台です。そこで演じるパフォーマンスは、その都度大きな話題を呼んでいます。夏の終わり、東尾久のマンションに訪ねました。

─民俗学に興味をお持ちだそうですね。

踊りは土地の文化と関連が深いのです。踊りの発祥を舞台にしたいので、そのオリジン探しをしています。きのうも、三大奇祭といわれる富士吉田の火祭りを見学し、郷土史料家の方と話し合ってきました。今度ジョフク(秦の始皇帝の時代に日本に派遣されたと言われる)の伝説を舞台にしようと思いまして。

─滑川さんの舞台はどのようにして生まれるのですか。

二年前にユーゴスラビアにある全長二十七キロの洞窟で公演をやる予定でしたが、ご存じの政情不安で延び延びになっています。洞窟がつくられたおそろしく長い時間に比べれば、人間の事情による一、二年なんて、という感じで、気長に待っています。これから七年かけて、一大陸一か所くらいを目途に世界の洞窟をまわり、公演したいと考えています。ぼくの場合、自分がなんらかの形で知り合った人とか文化とか、シンクロしてくる部分があるのです。それに体の準備ができてはじめて舞台が実現します。ユーゴの場合も、ぼくの舞台を撮っているカメラマンがユーゴ出身でして、この洞窟によく行っていた関係です。まあ、天と地の準備ができてからやる、というわけです。

─海外公演も多いですね。

八年間、二十二か所、五百ステージほどになります。でもいま考え直してます。用意された劇場空間とかフェスティバルばかりでやってますと、いわゆる文化人にだけ見せるものになってしまう。一般の人も巻き込んだ舞台にしたい。それには自然とか地球、あるいは大都会を異化させる仮設の空間を舞台にしたいと思っているのです。品川の倉庫でやったときは、舞台の長さが百三十㍍もあったのですよ。

─ご出身は?

富山県の魚津で、子供の頃から、蜃気楼の向こう側が気になりましてね。公式行事や集団行動の嫌いな変わった子供で、高校卒業と同時に東京に出てきました。いったん大学に入ったのですが、すぐにやめ、職業を転々として、セールスマンをはじめパチプロまでやりました。はたちの時、一週間の断食を五回やりました。精神集中によって何か得るものがあり、それまで無縁だった体に興味が出て、踊りの世界に入ったのです。

─荒川区とのつながりは?

都電界隈には本当に根のある庶民文化が残っていて、それを掘り下げたいと思い住み始めました。気に入っています。路上観察をやったのですが、観察だけでなく、イベントもやって人が集まれば、庶民文化は守れるでしょう。北東京を一つの文化エリアにした会議を計画してます。「都電界隈誌─と・て・ち・ん」という題の雑誌も出すことにしました。連絡先は三八一〇─〇二四二です。みなさんも、この新しい地域文化の大衆雑誌を育ててやってほしいのです。

踊りはすべての世界につながっている、という滑川さんの部屋には、あらゆる分野の書物がぎっしり。ハイテク舞台、地球舞台、神話から最近は地域文化へと、幼時に蜃気楼のかなたに寄せた滑川さんの好奇心は広がる一方です。自然と人間へのやさしい思いやりをそこに見ました。年齢不詳(ということになっています)。

読売新聞編集委員・平田明隆
カメラ・広瀬昌三