感性で、さっぱり歌う
気どらない「シジュウカラ」
「さすがプロ」と言う時、その技量、実力、心構えが、アマと格段に違うことを指します。その点シャンソン歌手としての久保さんは、まさにプロです。が、この人には他人を寄せつけないような気取りを感じません。人間まるだしの親しみがあるのです。初対面で十年来の知己のような雰囲気に。
-プロになったのが四十歳を過ぎてからだそうですね。
「ええ、四十二歳でした。シャンソンには鳥がよく出てきますが、私はシジュウカラ」(笑)
-それまでは?
「舞踊をやっていました。子供のときバレエ、大人になってフラメンコ。歌はカラオケくらいでした。太り気味になり、産経学園でジャズダンスをはじめたのです。そこで隣のシャンソン教室から聞こえてきた歌に引きこまれて、そのまま申し込んだのです。それから作曲家や歌手の先生について本格的に勉強し、すすめられてプロになりました」
-カルチャーセンター出身の熟年プロ歌手。
「耳だけが頼りの自己流プロです。でもプロ中のプロだと自負しています。今年で七年目、三百曲ほどに広がりました。シャンソン歌手は四、五千人くらいおりますが、定期的にコンサートを開いている人はその五パーセントですから。それに、私の歌には生活感がにじみでている、と言われます」
-生活感といいますと。
「真剣さなんです。チケット売りから、バンドを決めたり、音響、舞台監督、構成、演出まで全部自分一人でやるのです。
それでいて、私の歌は、さっぱりしていて快く感じるのだそうです。とにかく明るいコンサートだと。日本人はもともと暗い歌が好きで、シャンソンが好まれるのもそうなのかもしれませんが。
私は東京生まれですが、十七歳まで徳島で育ち、それから東京に出てきました。もともと無口でストレスがたまりやすいたちのため、シャンソンに出会った時、自分の感性を歌に乗せて言葉で表現できるすばらしさを、身にしみて感じました。
一つの歌を車の中で何百回も練習して、涙を出し切ってから舞台に出ます。明るい、さっぱりした舞台から、私の押さえた気持ちが聴く人に伝わってくれているのだと信じています。だってライトを浴びて人前に立つと、その人が全部見えてしまうのです。いくら飾ってもだめなんです」
-ほかにも仕事をお持ちとか。
「ええ。ずっと以前から損保の代理店と着物の着付けをやっています。三つの顔をはっきり分けてやっています」
-荒川四丁目にお住いになって十年。
「言葉も動きも、生活のテンポが早いですね。そんな下町が気に入ってます」
-これからの抱負は?
「いま、生きる喜びをやっと手に入れました。種は蒔き終えたので、五十代に成熟させて、六十代から落ち穂拾いにしましょうか。人生は自分で開拓するものなのですから」
昭和十六年生まれの東亜子さんのファンは、男女、年齢を問わず幅が広くて、客席はいつも一杯です。「大きく包み込むような温かいステージ」(ファンの声)は、ますます円熟味を増すことでしょう。
文・平田明隆