ジャズとの競演も楽し
お神楽国際化めざす四代目
お神楽や祭り囃子が、庶民のくらしのなかから、だんだん遠くなっていくなか、松本さんは、古くからの民俗芸能の灯を守り続けています。お神楽学校を設立して、後継者を育成し、愛好者を増やしているばかりか、江戸の里神楽の現代化、国際化に、世界をまたに大忙しの毎日です。初代家元の曽祖父から四代続いている西日暮里のご自宅をたずねました。
-最近どちらへ行かれました。
「日本を代表する文化の交流ということで、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアヘよく行きますが、おととしは、エジプトヘ行って、ピラミッドの前でお神楽をやりました。去年は、ニューオーリンズでジャズと競演です。神楽は太鼓や笛とパントマイムでしょう。言葉がわからなくてもすぐ気持ちが通じ合うのですよ。間(ま)という感覚は世界中どこでも同じですね」
-海外とのつながりができたきっかけは。
「戦後、中国から復員してアーニーパイル劇場(現東京宝塚劇場)専属として駐留軍の慰問を頼まれ全国のキャンプをまわったんです。外国人にもわかるようにと、テンポを速め、すこしオーバーにやりました」
-お神楽と米軍ですか、苦労も多かったのでは。
「ある日、女性将校がジープでうちへやって来て、サトカグラをぜひ習いたい、というのです。戸惑いましたが、とにかくワン、ツー、スリーで動きを、お面はマスク、たもとはポケット、はかまはジャパニーズロングスカートなんていいながら、教えましたよ。彼女は熱心で、お面をかぶるのにじゃまだといって鼻を低くする手術をしたのには驚きました」
「病院関係の人が、獅子舞いにはどういう意味があるのか、と聞くので、悪魔払いだと答えたら、それじゃ患者を直してくれというんです。私はドクターじゃないからと断ったんですが、どうしてもといって、聖路加病院に連れて行かれました。米軍兵士の間で、獅子に噛まれるとラッキーだということになり、みんなを噛んで回りましたよ。一時間いくらで報酬をいただきましたが」
「プエルトリコでは、大黒さまのお面を見た人が、これは何かとたずねるから、ジャパニーズサンタクロースでマネーが入るんだ、といったら、二日後に盗まれましてね。仕方無く、大黒さまに似せて、素顔でやりました」
-神社奉納の神事を外国人に見せたり、劇場でやることに反発する向きは。
「あります。でもNHKの生放送で、ジャズのオスカー・ピーターソンと競演したときのことを思い出すのです。ジャズのピアノと私の笛、太鼓がアドリブでからみあうと、これはまるでケンカですよ。そのうち、なんともいえず意気が合い、サンバのようなリズムが生まれました。以来、ゲタでタップダンス、大太鼓でフラメンコなどもやりました。どんどんのってくるんです。伝統邦楽の人もほかの世界を知るといいんじゃないでしょうか」
-もちろん神社でもおやりになるんですね。
「ええ。江戸里神楽はどっこい生きているところを方々でお見せしてます。でも、夜九時になったら当局の指示で終わりなんてところが増えて、さびしいですね。九時から面白いのに。お祭りというのは、日ごろ利口な人がバカになり、マジな人がアホになるところがいいのに、近ごろの人は年中利口になってしまったのですかね」
大正十三年生まれの東京都民俗芸能保存会会長はますます意気軒昂です。
文・平田明隆