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No.27  片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう)

目立ちたがり屋の一心
荒川少年少女合唱隊一期生、ボクシングも

年明け早々、日本テレビの楽屋でインタビュー。生放送番組「鶴ちゃんのプッツン5」のスタジオから出演姿そのままの格好で気さくに応じてくれました。

―多方面のご活躍は、もうだれもがよく知っているところですから、今日は「荒川生まれ荒川育ちの鶴太郎さん」ということで、お伺いします。

「何といっても、ぼくのふるさとですからね。新聞などで、荒川区の文字が目にとまると、つい気になって」

―鶴太郎さんは荒川少年少女合唱隊の第一期生でした。

「真土小学校(現在ひぐらし小学校)五年生の時、合唱隊に入ったんです。別に音楽が得意だったわけではないのですが、成績は3だったかな、譜面も満足に読めなかったのですが、とにかく舞台が踏みたかった。小さい頃から目立ちたがり屋で、将来は芸人になるんだ、と決めていましたから」

―それはまたなぜ?

「父に上野や浅草の寄席にしょっちゅう連れて行かれ、楽屋でサインをもらっては、有頂天になっていたんです。それにテレビでチックタックとかコント55号などがお笑いブームを巻き起こしていた時分だったからでしょう」

―テレビにはじめて出たのは?

「やはり十一歳の時、フジテレビの『しろうと寄席』というオーディション番組でした。動物のものまねをやったんです。子どもということで点数も甘かったのかもしれませんが、認められましてね」

―高校(都立竹台高校)の頃はどうでした。

「演劇部でした。別役実さんのものなど、かなりレベルの高いものをやりましてね。とくに、『堕天使』という二人芝居を先輩とやったのが印象に残っています。せりふはきつかったのですが、舞台に立つと、実に心地よかった。都のコンクールで五本の指に入りました」

―なのに演劇の道に入らず、ものまねをやったとは。

「劇団にはいっても、並み大抵のことじや食べて行けない。ものまね、話芸ならできる、とにかくまず名を売りたい、早くプロになりたい一心で声帯模写の片岡鶴八師匠の弟子になったのです」

―師匠からは、どんなことを?

「お前は江戸っ子だろう。江戸の芸人はイキでなくちゃいけない。芸人は人の前に出て見せる仕事だから品位が大切だ、というわけで、お辞儀の仕方とか食べ方とか、礼儀作法や芸人としての心得を仕込まれました。最近それがどれほど大事か痛感しています」

―タレントとしての絶頂期にボクシングをやったというのは有名な話ですね。

「三十三歳。テレビに出て、名が売れて、ふと感じたのです。肉体的にも精神的にも贅肉が付き過ぎた。自分に甘えが出た。これでは半端な芸人で終わってしまう、と思ったら、何だか自分が情けなくなり、人前に立つのが急に恥ずかしくなったのです」

―-ほう…

「それで、真に闘える男になろうと、ジムに通い、ジュニアバンタム級のライセンスを取りました。半年で体重を十一キロ減らしました。強くなって、ボクシングという武器を身につけると、ケンカもしなくなるものです」

―NHKの大河ドラマ「太平記」の北条高時の役が好評です。これからの抱負は?

「時間をじっくりかけて、いい俳優になりたいと思います」

当代の人気者はいま、大地にしっかり足をつけて本格的に芸の道を歩みはじめています。

文・平田明隆