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No.26  谷 エース(たに えーす)

"聞かせる漫才"ヘ奮闘
初めは歌手志望、三橋美智也の司会も

丘エースさんと組んでの「Wエース」はおなじみの漫才コンビです。昭和四十七年NHK漫才コンクールに優勝し、若手実力派といわれているうちに、文字通り、漫才界のエースになりました。

いまは、漫才だけでなく、お芝居に、司会にと忙しく、一方で五十組の漫才師を抱える「漫才協団」の副理事長もつとめています。今年四十七歳。

長年、町屋駅近くに住んでいます。あの歯切れのいい話術からみて、子どもの時からの東京育ちかと思っていたら、

「島根県の高校を出てから上京しました。歌手になりたかったのです。浅草でコックをしたり、キャバレーで働いたりしました。何とか歌手になるチャンスがつかまるんではないかと願いながら…」

それがなぜ漫才の道に?「三日でいいからWけんじの付人にならないか、三橋美智也に会わせてやるから、と誘われたんです。ボクにとって三橋美智也はあこがれ、というより神様だった。まさか、と思ったのですが、とにかくこの漫才コンビの付人になったんです。

そうしたら、東けんじが本当に三橋美智也に名古屋で会わせてくれたんです。もうこれで死んでもいいと思ったくらい感激しましてね。しかし、三橋美智也の司会などやっているうちに、歌の世界を知り、とても自分の力では歌手は無理とわかって、師匠について漫才を稽古するようになったのです」

漫才の稽古ってどこでやるのですか。

「公園などで夜中にやるんです。ある日上野公園で二人でやっていたんです。ほら、漫才で相手をつついたり、たたいたりするでしょう。これをやっていたら、ケンカしていると思われて、通報でパトカー二台駆けつけて来て。いや、漫才の稽古してるんだ、といったら、それじゃやってみろ。お巡りさんの前でやったんです。帰り際にお巡りさんが言いましたよ。おもしろくないなあ、それじゃ売れない。まあがんばれよ」

Wエースの漫才はいつも時代感覚にマッチしています。最近は俳句、茶道、競馬、ゴルフなどの趣味シリーズです。

「その場の客の気持ちを感じ取って、とっさにアドリブを入れる。そのこつをつかむのに、五年はかかります。漫才は、お客がいないと、面白くもなんともない。とはいっても、お客をいじってはいけない、あくまで舞台の上でのふたりの言葉のやりとりだ、と厳しくいわれてきました」

客をいじる、とは?

「最近の若い人気タレントといわれている人は、すぐ客に話しかけたりするでしょう。あれは芸の未熟をカバーしてるんです。なかには下品な言葉を吐いたり、お年寄りを平気で殺したり、ひどいのはズボンまでぬいだり。テレビ局が一分間に何回笑わせるかでギャラを決める傾向があって、じっくり聞かせることをしないんです。若い人達の笑いも変わったのでしょうかね。伝統のある寄席小屋の灯もつぎつぎに消えますしね」

しかし谷さんは話芸の将来に希望を捨てていません。

「学校寄席に招かれて行くと生徒たちはちゃんと聞いて笑いが返ってくるのです。要はじっくりいいものを聞く機会が少ないということだと思うんです」

谷さんは、国立演芸場での公演、それに昨年六月にスタートしたサニーホールの「ひぐらし名人会」などを拠点にして、「関東漫才」の再興に日夜奮戦しています。

文・平田明隆