トップ   >  荒川の人  >  No.20

No.20  田村 訓久(たむら くにひさ)

機智と計算…貸ビルの雄
税金完納主義、小説のモデルに

貸ビル業、山京(株)の田村会長は、四年前、銀座六丁目の土地八十一坪を、表通りの銀座四丁目でも坪せいぜい七、八千万円なのに一億二千万円で買ったので有名ですが、ちゃんと計算は合ったとか。

「昭和六年の地価と比べ二万倍でした。しかし田園調布は五万倍で、むしろ安いくらい。それにマスコミの"大宣伝"で、建てたビルの借り手も殺到しましたよ。第一、土地を売った人は二十七億円の税金を払い、ビルの税金も納め、りっぱな空地利用です」

田村さんは、昭和四年、西日暮里六丁目冠新道の和菓子店田月堂の生まれ。第六日暮里小学校を卒業。そのころ宮地ロータリー辺の空地でカボチャ作りの手伝いをした記憶もあるそうです。

「その後法政大学で学びながら大手町の東京逓信局(現逓信総合博物館)売店で、家業の和菓子を自転車で八キロも運び、売っていました。

すると出入りの業者から、日本橋に事務所があるのでテレビの販売をしようと持ちかけられて始めましたが、これがとんだ大失敗…」

その人が差押えで虎の子の受信機を押収され、窮地に立ちましたが、すぐ事務所の机三十台と電話一台で貸机業を始めました。これは田村さんが元祖で、大当たり。

「しかし、同業もふえたので、昭和二十六年本石町に坪六万円で二十一坪のビルを建て、会社を作って貸ビル業に入りました。ところが生命保険会社が屋根の上に百五十万円でネオンを建ててくれ、出資金もオツリがきました。その計算もしてましたが…」

その会社は、親しい東京と京都の仲間三人で設立。「京」が三人というので(有)山京商事と名づけました。

三十年株式会社、六十三年山京(株)と発展、貸ビル、ビル管理や経営コンサルタントで今は年売上げ三百億円をこえます。ほかに札幌、大阪など各地で別会社が大規模に事業を展開。今までに全国に百数十棟のビルを建てています。田村さんは城山三郎氏の小説「成算あり」のモデルでも有名です。

小説では「長身で彫りの深い、おしゃれな服装」で、不動産を買う時、物件が空家なら泊まりこみ、周辺の価格も調べ上げ、自分なりの合理的計算で納得ずくでOKさせるサマとか、挫折を逆手にとって運を呼びこみ、切り開く人生がリアルに描かれています。

「時、人、職業に恵まれました。自慢は税金をキチンと納め、税務署から何度も優良申告法人で表彰されたこと。おかげで信用もつき、ミス日本の審査員にも選ばれまして」

税金をキチンと納めるのも田村さん一流の計算なら、私生活もマイウェイです。

「自宅は半蔵門の社宅。相続税を考え個人では不動産は持ちません。車も持たず、早くて安い地下鉄を使います」

その一方で、「山京」の字画が十一。電話番号も十一番と縁起をかつぎ、そして荒川っ子の一面ものぞかせます。

「クリナップの井上会長からは昔よくまとまって和菓子の注文を受け、いま全ビルの厨房器具はその製品です。和菓子の梅月さんの息子さんにも同系列の会社をお願いし、荒川の人もかなり働いていますよ」(サクセスストーリーの一人というワクには収まりきらない人物、といえるようです)。

文・真下孝雄