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No.17  渡辺 重夫(わたなべ しげお)

"歌は体で"と116キロに
ローマに家持ち、活躍22年

国際化が今や時代のキーワードですが、渡辺さんは二十二年前からローマにも家をもって声楽で活躍し、日伊両国のかけ橋の役目を果たしている"国際人"の先駆的存在です。生まれも育ちも、そして日本の住まいも荒川一丁目。生粋の荒川っ子です。

「第六瑞光小学校、区立一中を卒業しましたが、子どものころからカトリック聖歌隊にいて将来、声楽の道に進もうと志していました。しかし、当時、日本にはいい先生もいなかったし、日本特有の教育も受けたくないと思って、大学へ進まず直接イタリアで勉強することにしたのです」

師事したのは、ローマ音楽院でも教え、有名なソプラノ歌手のマリア・カラスの時代にも活躍したパウロ・シルベーリ先生などです。

最初三年間はボイス・トレーニング一筋。そしてイタリア語も「言葉とその心が身につくよう」徹底して訓練を受けました。「といって、昨日何を食べたか?うまかったかとリラックスさせ、今日の練習ではこのフレーズがよかった。ここを伸ばそう。人生は長いんだ。うまくいかなくても"ドマーニ"、つまり明日があるんだというやり方でした」

個性と素質を大切にするイタリア式教育法といえそうですが、甘くみると大変-。

「素質がないと、おやめなさいと突っ放されます。しかし、日本から留学する時、第一に必要なのは財力、次が子どものころの音楽的環境。素質(タレント性)は三番目です。バイトでもしながらとタカをくくっていると、向こうは人手に困らず、労働許可証がないと働けないので、とんだ計算違いになりかねません。レッスン料も私のころは一レッスン五百円でしたが、今イタリアも物価が上がって、大変です」

先生の厳しい評価もパスした渡辺さんは「もっとふとりなさい」と言われ、七三キロの体重を一一六キロにまでしました。

「歌は身体でうたうもの」だからで、そのため和食は敬遠し、もっぱらイタリア料理でした。「なんといってもおいしいんです」と笑います。

修業後もっぱら活躍したのは、教会のホールなどでのサロン・コンサートでした。自分で切符を売って八十~百人の聴衆を集め、イタリア人の好きなベルディーの歌曲やベルリーニを歌いました。

「ジーンズなど気軽な服装でやって来て、よければ拍手するし、気にいらないと文句を言う。純粋に音楽を楽しみ、鑑賞してくれます。でも終わるとアルコールも出て皆で歌ったり、なごやかです」

こうした草の根の活動がむしろ真の国際交流ともいえるようですが、長いイタリア生活の間に、観光日本人のマンガ的光景も体験しました。

「ローマのサンマルコ広場でイタリアの友人と綿アメの屋台を開いていたら、こちらの貧乏たらしい服装を見て、五百円でいいというのに一万円札を見せびらかして渡すんです。帰国後、ある友人の家で偶然そのオジさんに出くわして、参ったね、あの時は」

来年は、シルベーリ先生と相談してローマでリサイタルを開く計画とか。大いに健闘を期待します。

文・真下孝雄