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No.12  渡邊 顯麿(わたなべ あきまろ)

手弁当で合唱指導24年
内助に支えられ…都功労者に

渡邊さんは昭和四十年結成の東京荒川少年少女合唱隊の常任指揮者として、"心でうたう合唱芸術"の指導を続けています。最初は区立九中の英語の先生をしながら、また五十二年故郷の釜石市に帰り、亡くなった父親のお寺を継いでからはほぼ週に一回のペースで上京、文字通り手弁当で、情熱を傾けてきました。

いまや水準の高さは全国に知られ、この夏は、サニーホールでウィーン国立歌劇場少年少女合唱団と共演、十二月二十四日にはサンパール荒川で「ボニーとうたうクリスマス」も開きます。

こうした功績で平成元年度都功労者に選ばれ、十月一日表彰を受けました。十一月三日にはホテルラングウッドで記念祝賀会も開かれ、「区民の誇り」「区になくてはならぬ人」と多くの感謝の言葉が捧げられました。
しかし渡邊さんはテレながらこう語ります。

「荒川区とご縁ができたのは、実は東大の大学院を出て研究室で細々と翻訳しながら生活していた時、掲示板の"求む・英語講師"という貼り紙にひかれたからです。聞くと週三日で六千円というので、三十六年から区立九中に勤め始めました」

その九中時代、荒川区の子どものすばらしさに、とことんほれこみました。

「体育館の落成式でやる英語の歌を指揮しましたが、練習のたびにメキメキカをつけ、当日は七か国語で堂々と歌ったんです。英語の先生が音楽を…と批判的だった先生も、涙を浮かべてこの子らがおれの勤めている学校の子とは思えない、と言うんです。それから教員試験も受け、本気になって教師の仕事に取り組みました」

音楽との出会いは釜石中学生時代。大谷大学で原始仏教学、東大大学院で印度哲学を修め、大学生時代、京都放送合唱団に在籍、声楽や指揮法を学びました。こうした中で"心でうたう"合唱隊の精神も培われました。

この二十四年、合唱隊で指導した隊員は延べ八百人。テレビタレントの片岡鶴太郎も第一期生です。「定員五十人に百五十人応募の狭き門を突破したカのある、まじめでいい子でした」とか。もちろん声楽家などで活躍中の人も多くいます。

「この子らからむしろ私が教わりましたよ。NHK東京放送児童合唱団は成績はオール4、ピアノとほかに楽器が一つでき、譜が読めることと条件はきびしいのですが、こちらは"音楽したい"心さえあれば誰でも入れるし、大きい子が小さい子の面倒もよくみます。リトルリーグか合唱隊かと悩んだ末に来た子もいますが、人間の存在に対する考え方が違うんですよ」と断言します。

奥さんの協力も見逃せません。勉強して資格を取り、渡邊さんが上京した折には法事も務めています。祝賀会では内助の功をたたえる光景もみられました。その祝賀会で第一期生の本石和子さんがこうのべました。

「音楽の楽は"ぎょう"とも読み、願うという意味があると先生から教わりましたが、先生自身も私たちの成長を心から願ってくれました…」

今度は渡邊さんが隊員たちから幸福を願ってもらう番。こうした交流をみても、本当に荒川区になくてはならぬ人材と思われます。

文・真下孝雄