トップ   >  荒川の人  >  No.9

No.9  菓子 満(かし みつる)

暑さと緊張と力の芸術
「鋳型用粘土は荒木田が最高」

名刺の肩書は菓子美術鋳金研究所代表。はて、お菓子のデザインの研究家かと、早とちりしそうです。

「おやじが富山県の出身。あちらには、米とか塩とか食べ物に関係した姓が多いんです」と笑います。

本職は美術鋳金。作品は身近なものではサンパール荒川の「海と鳥と少年像」。日本芸術院会員淀井敏夫氏の原型を鋳造した力作です。

「木、石膏、金属の原型を、粘土と青砂を半々に混ぜたもので覆い、鋳型を作ります。そこに溶けた金属の湯を流し込んで八百度まで焼成します。粘土は荒川沿岸の粘着力の強い荒木田土がいいですね。昔、荒木田の原といった辺りのあぜ道の土なんか最高です。今は、蕨市辺りの荒川沿岸から業者が運ぶ土を使ってます」

西日暮里六丁目のお宅にある仕事場は、美術鋳金というより"芸術的力仕事"の鋳物工場といった趣です。しかも暑いだけでなく、鋳型に湯を流し込むまで準備に数か月もかかり、完成まで大変な緊張感が強いられます。

父親も鋳金家、菓子さんは高校生のころから師事した二代目です。その父親は東京芸大進学の時に亡くなり、本格的な技術は、受験浪人中の一年間、教わっただけでした。芸大では工芸科鋳金部を選び、在学中に日展入選と早くも頭角を現し、卒業制作の「噴水」も武蔵野音楽大学に買い上げられました。

「鋳金部の同級生は三人。悪くても三番だと笑いあったものです。志望者も少なく、卒業しても仕事がないので、ほとんどが先生になっていますね。もっとも最近は鋳金家を志す若い人が仕事場に出入りして、まるで芸大の分校みたいだ、といわれます」

卒業後、専攻科(現・大学院)で二年間鋳金研究に打ち込み、研究所の前身の父親の菓子美術鋳金工芸を再建。淀井さんなどから依頼される作品の鋳造を主に手がけています。菓子さん自身の作品も、早稲田大学演劇博物館の「九代目市川団十郎胸像」、長崎聖心女子大学の「ピエタ像」など、また修復では室戸市の「中岡慎太郎像」、高知市桂浜の「坂本龍馬像」などがあります。

「中岡慎太郎像は、もう黄色に変色し、台座にもヒビが入っていて、放置すれば倒壊する危険もありました。やっと修復したら、高知市から龍馬像もと、話があったんです」

さらに東大寺大仏の鋳造、補修の技術的研究員も経験し、今や日本でも数少ない美術鋳金家として注目を集める存在です。しかし、菓子さんは、昭和十二年日暮里生まれ。あくまで地域に根づく芸術家を自負しています。近所の板金、鋳物から大工さんまで職人の後継者たちと、六丁目に因んで六親会をつくり、夜、一杯やっては親交を深めています。

忘れられないのは、小中学校時代、すべて他校に間借りした体験です。

「第六日暮里小学校時代は終戦直後で校舎もなく、真土小学校に仮住まい。卒業式直後やっと校舎ができて、卒業写真は、この二つの学校で撮った二枚があるんです。区立八中時代も第三日暮里小学校に間借り。卒業の年にやはり校舎再建。ついてませんね。新校舎は芸大でやっとでした」

その思い出からか、二年前区立九中から頼まれ制作した正門の像は、トンボ釣りを造形し、題名は「望郷」。十月には、主宰する鋳生会の作品展を開きますが、こうした懐かしい原体験を追憶する見事な作品も見られることでしょう。

文・真下孝雄