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No.8  安達 典夫(あだち のりお)

中学時キャディーで猛練習
懐かしい"もんじゃ焼"仲間

ことしの関東プロ選手権で、安達プロは、1アンダー、十七位と健闘し、ファンを喜ばせてくれました。

「まあまあでしたね」という本人の控え目な口調にも、自信のほどがうかがえます。

ゴルフを始めたのは、第二日暮里小学校の頃と聞くと、アメリカのニクラウスみたいだな、と思ってしまいますが、ゴルフ好きでシングルの腕前を持つ父親、泰矩さんのお伴をして遊びながらのプレーだったようです。

第八中学校二年の夏休みに、キャディーのアルバイトをしながら朝夕みっちり練習したのが、「まとめてゴルフをした」最初です。

都立竹台高校三年の時、ジュニア選手権に出場、決勝まで進んで、四十八位でした。その試合には、倉本昌弘や藤木三郎も顔を出していたそうです。

しかし、プロゴルファーになるつもりは、全くなく、体育の先生を目指して受験勉強中だった安達さんに、意外な所から白羽の矢が飛んできたのです。

専修大学のゴルフ部長から誘いの電話があり、父親と相談の結果、ゴルフ一筋に生きることになりました。

大学のゴルフは日大が群を抜いていますが、専大は練習の激しさで群を抜き「まるで相撲部か空手部の感じ」だったそうです。

例えば腕立て伏せなど、一人でもヘタると、全員が始めからやり直しで、際限なくやらされたとのことです。

大学を卒業した翌年、プロテストに合格、ハワイのパールオープンで初優勝(五十六年)、プロミスカップの東西対抗戦でも個人優勝(五十九年)を飾りました。

今は仕事の関係で宇都宮に住み、五歳の女の子の父親ですが、実家は日暮里駅前の安達運送(社長は次兄の憲詞さん)です。駐車場に町内の神輿が安置してあって、諏方神社の夏祭りには、子供のころからハッピを着て神輿をかつぐのが、楽しみだったとか。

「生まれも育ちも荒川」で下町独特の人情をなつかしむ安達さんの、忘れられない思い出は、「もんじゃ焼」です。

駄菓子屋さんの店の奥に大きなコタツがあって、その上の鉄板で焼くんだそうです。ただし、お好み焼と違って、水みたいにうすくとかしたウドン粉にソースをまぜ、イカや玉子を入れます。

「お椀一杯が五円でした。十人ぐらい仲間が集まってワイワイいいながら焼いて食べる。最高でしたね。そんな駄菓子屋には、きまってお婆さんがいて……」

身長一七六センチ体重八〇キロ、三十四歳の安達さんが、子供に帰ったような目をしました。

でも、生涯の思い出は、やはりビッグ・ゲームでの上位入賞でしょう。ご活躍を祈ります。

文・篠原大