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No.5  レパード玉熊(れぱーどたまくま)

世界の王者へ再挑戦
荒川土手走り早朝トレーニング

丸首の白いスポーツウェアにジーパン、眼鏡をかけ、一見、やせて見える体つきの玉熊君は、その辺にいる若者と、全く変わりがありません。

この人が、世界のフライ級チャンピオンを向こうに回して、一歩も退かぬ戦いを挑んだ勇者だとは、信じられない程、おとなしい青年です。

それにしても、青森市で行われたあのタイトルマッチ(三月五日)惜しかったなあ……というと、

「自分では勝ったと思った。それが判定負け。実にくやしかった」と、うつむいて唇をかむのです。

手数がいまいちだとか?

「みんなにそういわれます。ねらい過ぎでしたね。外れてもかまわないから、手数を出せばよかった」と反省して、

「チャンピオン(金容江)はさすがにうまかった。一発当たるとすぐクリンチ、ホールドで逃げる。連打をさせてくれないんです。でも、クリーンヒットは、自分のほうが上だった」

そばにいた玉熊君の師、国際ジム会長の高橋美徳さんが、くやしがる玉熊君を見ながらこういいます。

「五回か六回で負けていたら、もうおしまいですが、またやりますよ。金容江はWBCでしたが、こんどはWBAのフライ級チャンピオン、フィデル・バッサ(コロンビア)が相手です。もちろん勝てると思うから交渉するんです」

つまり、世界チャンピオンへの夢はまだ消えていないのです。

昭和三十九年、青森市に生まれ、青森商業高校へ進んだ時、先輩に誘われてボクシング・クラブに入り、三年目の高校総体ではライトフライ級準優勝。同じ青森商出身の高橋会長は、昭和三十九年一月、ジュニアウエルター級の王者パーキンス(米)と戦って惜敗したプロのボクサーでした。

玉熊君の素質を見抜いて早くから目をかけていた高橋さんは、五十八年一月、法政大学を中退して荒川三丁目の国際ジムを訪れた玉熊君に「必ず世界の王者にしてみせる」といって、入門させたそうです。

「会長さんは、最初から世界に持っていけるいい子だよ、といっていました」と、後援者の一人、渡辺美晴さん(渡辺自動車教習所常務)が、会長の言葉にうなずきます。

荒川区に住んで六年。でも会長の教えを守り、修行僧のようなきびしい生活の毎日とかで、近所づきあいは、あまりなかったようです。

しかし、世間を知るのも勉強のうち、という会長のすすめで区内の千代田平安閣に勤めることになりました。

「荒川区は住みよいところです。毎朝五時半に荒川の土手を走るんですが、その気分のいいこと。夏は荒川遊園のプールで肌を焼くし…」と玉熊君はニッコリします。

本名は幸人、リング名のレパードは豹(ひょう)。豹のように素早く果敢に戦い、王者のベルトをもぎとって師弟の雪辱をはたす、その日がくることを、青森の人と同様、荒川の人々も、いや日本人全部が切望しているに違いありません。

文・篠原大