栗友亭で遊んで漫才へ
"金魚迷惑"なイタズラばかり
本郷で生まれ(生まれた時は、夢中でしたねえ)すぐ日暮里へ移り三河島駅近くの真土小学校に入学、卒業したのは(何故か)第八峡田小学校。
そこから荒川区立第八中学校。この中学、卒業生は四千人もいるんですが、同窓会の名誉会員は、私、三球と寄席芸人の早野凡平さんの二人だけ。政治家や有名文化人は、一人もいないんです。
子供のころは、イタズラばかりしてましてねえ。南千住のほうに、アベックがよく来る草むらがあってその草むらにカンシャク玉を投げこむと、あわててアベックが飛び出してくる、それが面白くて……。
今はないけど、三河島の貨物駅に荷物が沢山着く。中にロウソクの原料の分厚い板があって、そのカケラを黙って頂き、ナベに入れて溶かす。ガラス工場から、ガラスのパイプを、これも黙って失敬してきて、溶かしたロウを流しこむ。ぼろきれをよって芯にして、たらすんですが、なかなか真ん中にいかない。
つまりロウソクの手造りで、十センチもある太いのを作って、自慢したもんです。売ったかって? そんな知恵はなかったなァ。
みんな疎開しちゃったから子供が少なくて、一年から六年まで同じクラス。校舎も学校からお寺に代わって、空襲のサイレンが鳴るとミソパンをもらって家に帰る。
戦争中だからどこの家にも防火用水があって、ボウフラ退治の金魚を飼っている。ミソパンをちぎって針につけ、それでよその用水の金魚を釣るんです。釣った金魚は、うちの用水に放す。
親が首をかしげて、うちの金魚はバカに増えるねえ……。近ギョ(所)迷惑な話でした。
夏になると、西新井の荒川放水路へ行き、橋の下で泳ぐんです。往きはバス、帰りは、バス代でアイスキャンデーを買って、しゃぶりながら歩く。キャンデーはすぐなくなるし、暑いし、遠いし、歩くのがイヤになるし……でもヒマでしたからねえ、暗くならないうちに帰ればいいんで……。
高校を出て会社に勤めたけど、朝は起きられないし、夜の勤めは眠いし、どこへ行ってもすぐクビ。南千住に漫才常打ちの栗友亭というのがあって、よく遊びに行った。
そしたら一休さんという人に漫才やろうといわれて、この道に……。初舞台も栗友亭でしたよ。
なぜ漫才を? 私、一人でやる勇気がない。といって大勢でやるのは、わがままで協調性がないからダメで、二人ならちょうどいいんです。
その一休さんは、あの三河島事故(昭和三十七年五月三日)で亡くなっちゃった。
荒川区というと、子供のころ楽しく遊んだ思い出と、一休さんをしのぶ悲しい気持ちとが重なって……。
そうそう、この四月に、巣鴨のとげぬき地蔵の通りに、健康肌着の店を出します。三球の店ですよ。
これ、ぜひ書いといてください。
××
まぁーるい顔、細い目、黒い髪、とても年(五五)には見えない。
文・篠原大