下町の人情、大好き
「気どらないでスジを通すの」
そう、女でいうなら女優の池波志乃、なるほど、彼女はここの生まれでした。
みずみずしい色っぼさ、下町女の心意気、そうした独特のムードが売れに売れて、いまこのひと大多忙。大阪・梅田のコマ劇場、出演の合間をぬってのインタビューとなりました。
ご存じ、藤田まことの必殺シリーズ、悪を倒す暗殺請負いグループの闇の元締め"お艶"が彼女の役どころ。伝法な威勢のいいタンカをきりながらも、女の甘さ、悲しさを肩のあたりににじませる彼女ならではの女ボスに、大向こうから「池波……」、声がかかるのも当然です。
そしてご主人の中尾彬が二枚目の浪人"神谷兵十郎"、二人のからみもあったりして、芝居にもいよいよ熱がこもります。
あわただしい楽屋で―
「ええ、私、荒川生まれの荒川育ち、荒川の空気をたっぷり吸って生きてきたんです」
男心をときめかすあの目でじっと見つめながら。
「あのへん、荒川と台東が入りくんでいて。路地の向こうが台東かと思うと、角の家が荒川だったりして」
今の日暮里駅近くに祖父の名落語家、志ん生の家があって、「おじいちゃん」と呼ぶと、師匠、じろりと見て相好を崩したそうです。
「小学校は、第一日暮里。父も噺家(はなしか)(金原亭馬生)でいつも何人かの弟子がいたでしょう。だからおませで、勉強よりおてんばな女の子、先生? 古田先生、樋口先生、進藤先生……懐かしいわ」
生粋の芸人の血筋のせいか、戸板学園中学に入ると、自分から進んで芸事に熱中、それも三味線、小唄、長唄、日本舞踊、はては体力をつけるため柔道もと講道館に通って……。当然のように高校も中退して俳優座小劇場の養成所に。
「好きだったんでしょうね。祖父も父も反対どころか"そうかい、そうかい、がんばっておやりよ"、喜んでくれました」
池波志乃、このしっとりした女らしい芸名は、父、馬生師匠の命名でした。
蛙の子は蛙、どうせなら好きな道を歩いてくれ。蛙といや、蛙飛び込む水の音、池に波が広がって、いいねえ、じゃあ池波にしよう。名前は、本名の志をとって、色っぼく乃の字でまとめようや―こんなぐあいに落語もどきに誕生した池波志乃。
芸の精の祝福をいっぱい受けたせいでしょう。デビューいらい順風満帆、下町の情感をたたえながら、芸熱心と七変化の色気で一枚看板にのし上がったのです。
「東京もいつしか、画一化して、どこも同じになってきますよね。でも昔ながらの下町のよさはちゃんと残っていて。人々のやさしい心が通い合い、なんの気どりもなくそれでいて、きちんと互いにスジを通す、そんな荒川、大好きなんです」
ホホホと笑ったところで出のベルが鳴りました。
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本名・中尾志津子。昭和三十年、西日暮里生まれ。
文・山本栄一